マンハッタン計画
アメリカはただちに、アメリカの科学者およびアメリカに亡命していた世界中のすぐれた科学者たちを集めまたアメリカの工業力をあげて原子爆弾開発計画(ニューヨークにあるマンハッタン工兵管区の陸軍大佐レスリー=グローブスがその推進役に任命されたため、マンハッタン車両という暗号名でよばれました)に着手しました。
その直接の動機は、ハンガリーからアメリカに亡命した物理学者レオ=シラードがアインシュタインを通じてときの大統領ルーズベルトに進言したためです。
たくさんの科学者、技術者たちの夜も日もない突貫的な研究の末2年後1945年の夏に入ろうとするころついに最初の原子爆弾(プルトニウム爆弾)がニューメキシコ州ロスアラモスの研究所で完成7月6日、アラモゴルドの砂漠で爆発実験がおこなわれました。
そして同じく1945年の8月6日にはウラニウム爆弾リトル=ボーイが広島にそして3日後の8月9日にはプルトニウム爆弾ファットマンが長崎に投下され一挙に何十万というたくさんの日本人を殺ししかもそのときの死の灰にさらされた人たちはいまだに恐ろしい放射能障害のために、地獄の苦しみにあっているのです。
この原子爆弾(原爆)は1つでそれまでに使われていた最も性能の高いTNT(トリニトロトルエン)火薬2万トン分に相当する破壊力をもっていました。
水素爆弾の登場
日本の軍部も、原爆の前にはついに幸福に踏み切らざるをえなかったのです。
原爆の開発をルーズベルト大統領にすすめたアインシュタインはそれが実際に使用された(そのときはトルーマン大統領にかわっていましたが)ことにたいして、ひどく良心の傷みを覚えました。
アインシュタインはナチスドイツに先を越されないよう原爆をつくることをすすめはしましたがそれを使うべきではないと考えていたのです。
たとえば1945年6月1日にアインシュタインらは政府にたいし「……もしアメリカが、この新しい無差別殺傷兵器の最初の使用者となるならばアメリカは世界世論の支持をうしなうばかりか、軍備拡張競争に油を注ぐことになろう……」とに言っています。
しかし、アインシュタインらの願いは聞き入れられず日本人がこの悪魔の兵器の力を試すためのモルモットにされてしまったのです。
しかもアインシュタインの予想どおり、戦後軍備拡張競争はますます激しさを増しかぎりない不安と恐怖をはらんだ、冷戦状態をうみだしたのです。
アメリカに引き続き、ソ連もまた原爆をつくることに成功しました。
そこでいっそう強力な兵器をというわけでこんどは水素爆弾(水爆)の開発がはじまりました。
アインシュタインはもちろん、マンハッタン計画の最高指導者として原爆開発に力をつくしたロバート=オッペンハイマーもこの水爆の開発に反対しました。
しかし、あくまでもソ連より優位にたたなければという軍部の強い意見にかんたんに押し切られアインシュタインは「こんど生まれてきたら、決して科学者、ことに原子物理学者になんかなるまい。
最小限の精神の自由が保てるような、大工か行商人にでもなりたい」という言葉を残して死に、オッペンハイマーは赤よばわりされいっさいの原子力研究活動から締め出されてしまいました。
さて、水爆というのは、小型の原爆のまわりを重水素や三重水素(ふつうの水素の原子核に1個の陽子しかもっていませんが重水素のそれは、1個の陽子と1個の中性子、三重水素は1個の陽子と2個の中性子をもっていて原子量がふつうの水素のそれぞれ2倍になっている)やリチウムのような軽い(原子量の小さい)原子でつつんだものです。
起爆装置をはたらかせて、芯になっている原爆を爆発させると1億で℃くらいの高温になりそれがまわりの重水素やリチウムなどのかるい原子核をくっつけ
(分裂の反対で、融合といいます)より重い原子核をつくります。
このときには原爆の爆発以上のものすごいエネルギーが放出されます。
たとえば、1952年、アノリカは南太平洋のエニウェットク環礁で最初の水爆実験をしました。
この水爆はたいへん効率の悪いものでしたがそれでも広島に落とされた原爆150発分の力をもっていました。
1953年、ソ連はアメリカの水爆よりもずっと性能のよい水爆を完成しました。
それは原爆のまわりを、重水素とリチウムを結合させた重水素化リチウムというものでつつんだものです。
アメリカの最初の水爆は重水素と三重水素の気体を零下20℃に保って液化しそれで原爆のまわりをつつんだものですからしかけ全体がたいへん大がかりになり水爆というよりは水爆装置ともいうべきものでした。
これにたいし、ソ連が採用した重水素化リチウムははじめから固体ですから、面倒な装置などは必要がなくまたずっと小型にすることもできたのです。
もちろんアメリカもすぐソ連の後を追いました。
そして1954年2月1日、アメリカは最初の重水素化リチウム水爆の爆発実験をビキニ環礁でおこないました。
このとき、日本の漁船第五福竜丸は立入り禁止区域外にいたにもかかららず、多量の死の灰をを浴び乗組員のひとり、久保山愛吉さんは、ついに放討能障害で命をうばわれました。
この水爆の破壊カは、広島型原爆の実に700倍といわれました。
しかもそれは爆発力についてだけのことであってそのとき飛び散る死の灰の害は、これらにひどいものと思われます。
そして、このような水爆にいまアメリカ・ソ連の両国に何百発も用意されているのです。
さらにイギリスもフランスも、そして隣の中国も原爆や水爆の開発に成功しています。
いま世界中には、この地球を、全人類、全生物を10回でも20回でも完全に破滅させるに充分な量の核爆弾がたくわえられているのです。
しかも、これらの核兵器は爆撃機に積まれ原子力潜水艦に積み込まれさらにはミサイルの弾頭にセットされていつでも投下、あるいは発射できる態勢を整えているのです。
このような危険な状態を、1日も早くなくさなければなりません。